2002年、僕は友人たちに、冗談まじりにこう吹聴した。
「エイベックスは5年以内に潰れるよ」
この年、エイベックスはCCCDの導入を大々的にぶちあげたから。
僕の理論はこう(そんなタイソウなものでもない)。
CCCDを導入したところでCDの売上が増えるわけではない→そのうえCCCDには実効性がない(実は簡単にリッピングできる)→でもCCCDの開発と導入には莫大なカネがかかる→経営を圧迫する。
結果、もちろんエイベックスもバカではないので潰れはしなかったが、CCCDはもう導入されていない。いまや多くのレーベルも、事実上CCCDからは撤退していて、残ったバカはEMIだけになった。そのEMIも、東芝が手を引いたがその理由は知らない。
細かい技術論や法律論は抜きにして、僕が言いたかったのはこれ
CCCDを導入したところでCDの売上が増えるわけではない
人はなぜCD(あるいはレコード)を買うのか。
その音楽プラスαのものを所有したくなったから。
音楽そのものを買っているのではないのです。
プラスαのものを買わせるために、CDの中の音楽は存在するのです。
つまり、CDの中の音楽は、あくまで名刺代わりなのです。
え?じゃあ、音楽って・・・・。
あのね、音楽はもともと誰もが共有できる‘タダ’のものなのね。だって、本来が口伝えで伝承されて生き延びてきたものだもの。
その中で、選ばれたものだけが誰か酔狂な方に育ててもらえる(金を出してもらえる)。
僕だってさ、好きなアーティスト、好きな曲はゴマンとある。
でも実際、金を出してCDを買ったりコンサートに行くのはその一部、何かその時の自分と共感できる‘プラスα’を感じ取ったものにだけ。
小学生の頃、甲斐バンドもツイストも同じくらい好きで、歌詞も完璧に歌えたけど、お金を出して買ったのは甲斐バンドだった。実はジュリーだって、1枚もレコードは持っていない。当時の限られたお小遣いの中で、歌謡曲の中ではジュリーではなく布施明を所有することを選んだだけ。それはその歌の向こうに「今、どうしても手もとに持っておきたい」と渇望させるサムシングを感じたから。
でも、当時でも音楽はタダで手にできたから(テレビやラジオ、あるいは友達からのダビングなど)、今でもジュリーの曲は(フリ付きで)歌えるし、リスペクトも変わらない。大人になり、余裕ができてからようやくCDも買ったしDVDも買った。
つまりさ、音楽は本来、水や空気のように存在するものなんだ。
実際に触れて、初めて感動し、ありがたさを感じ、手にしたい、守りたいと思うものなんだ。
それを、簡単に触れさせないようカギをかけてしまい込むのは本末転倒。
触れられることを拒絶しているものに対して、守ろうという愛情はなかなか持てないよね。
音楽は(とりわけポピュラーミュージックは)大衆の中に飛び込んでこそ愛されるもの。
よく言われる「音楽の共有は泥棒行為です」というのは、前提から間違っているのです。
だから、どんな技術を生み出しどんな法律を作ろうと「CDのコピーを止めることはできない」し「音楽の共有を止めることはできない」。善悪の設定基準が間違っているのです。
そんなんで、最近僕が仲間に言いふらしてること。
「ジャスラックは5年以内に潰れるよ」
海の向こうでは、かのプリンスが新作アルバムを全てネットで無料配信したとか。
さらにはマドンナまでが・・・
マドンナはレコード業界を捨てるのか
もちろんプリンスやマドンナは、大御所だからこんな大それたことができるんだけど、大御所だからこそ、現状に安住せず時代の先を見ようとする姿勢が素晴らしい。
僕らはすでに、メジャーレーベルの実態も、ジャスラックの実態も知ってしまってる。でも彼らはリアルな現状をおそらく知っていない。
これからどうすればいいか迷ったら、今こそもう一度胸に手を当てて考える時期かもしれない。
僕らはなぜ歌いたいのか、なぜ音楽を愛するのか
その答えはもちろん、美空ひばりやジョン・レノン、モーツァルトとだって変わらないかもしれないんだ。
・・・次回「ディズニーとジャニーズは10年以内に潰れる」編、ご期待下さい(←うそ)