「昔、甲斐バンドが好きだったんですよ」って言うと、たいてい浜田省吾やチューリップ、長渕剛、矢沢永吉あたりも好きですよね、と言われる。
いや、もちろん嫌いじゃないし、彼らのシングル曲はたいてい歌えるけども、レコードはほとんど持っていないのね。かろうじて矢沢永吉ならアルバム「PM9」シングル「涙のラブレター」、チューリップはシングル「I Am The Editor」くらい。
結局、世界観や音楽性が近い分だけ、ざっくりと代表として甲斐バンドに集中したんだと思う。お小遣いには限りがあったからさ。もう1枚買うんなら他のジャンルのものを買おう、みたいな。
特に甲斐バンド、矢沢永吉、浜田省吾は、70年代後半から80年代にかけて、日本のロックシーンの基礎を作り上げたわけだから、似たところも多いのね。
基本的には「名もない貧しい若者が、夢を持って大都会で闘う希望と挫折の歌」みたいな世界。
その中で、矢沢永吉はいち早く「成功したものの姿」を見せた。曰く「成り上がり」。彼は詞を書かないので、その世界はほぼ完全にフィクションの世界。ポリシーやメッセージは有言実行の言動で示し、作り出す歌は、名もなき若いチンピラが憧れる「きらびやかで大人でハードボイルド」な世界。サウンドも、いち早くにAORを取り入れ、常に一流のミュージシャンで作り上げた大人のロック。
その真逆が浜田省吾。ほとんどメディアに出て来ない彼のメッセージは、すべてその歌の中にある。ビッグになった今でも彼のメッセージは、「日々の暮らしに追われながらも夢に挑む」者たちの歌で、デビューして以来、詞もサウンドもほとんどスタイルは変化をしていない。スプリングスティーンを下敷きにしたストレートなフォークロックに、適度に‘日本の歌謡ロック’を混ぜた感じ。まさにブルーカラーの歌。
で、甲斐バンドがちょうどその中間。デビューから解散までのおよそ12年間で、田舎の少年が大都会の裏側でもがく若者へ、やがてタフな大人の男へと成長する過程を描いてみせた。サウンドも、泥臭いフォークロックからNY仕込みの最先端ロックまで、常に時代とシンクロしながら変化を遂げて来た。
歌詞にはドラマがあり、サウンドは雑食性。特に曲想の幅広さが、僕の嗜好にあったのだと思う。ほとんど何でもアリだもんね。音楽に目覚めた思春期の少年にとって、甲斐バンドは様々なロックやフォーク、ルーツミュージック、ポップスへの格好の入り口となったのです。
そんなわけで、甲斐バンドの作品について、これからつらつらとぼちぼちと気まぐれに書いていきます。