5月3日のクイーン談義およびコメントからインスパイアされて。
クイーンはフレデリック・ダネイとマンフレッド・リーふたりのいとこ同士の合作ペンネームで、ダネイが登場人物とプロットを考え、リーがそれに肉付けをして小説にしてたそうです。
ダネイが、まあアイディアマンであるんだけど、それをどうしても長編にできなくて、リーの文章力を頼ってたそうな。
で、ダネイは詩はよく書いてたらしいんですね。
なんか、よくわかる。
僕も、詩は書けるしそれなりの自信もあるんだけど、どう考えても長編小説は書けそうにない。
いや、やろうと思えばできるんだろうけど、なんつうか辛そう。
同じ‘文章好き’でも、詩と小説とでは求められる資質が違うんですね。当たり前と言えば当たり前ですが。
僕は小さい頃から‘話すように文章を書く’というのができなくて、やたらと時間がかかるわけですよ。助詞ひとつ、ここは‘は’なのか‘が’なのかをじっくり考えちゃうんですね。
受験生時代も、英文和訳でえらい凝った訳を考えて‘採点しにくいよ’と注意されたことも。
まあ、男だし手紙を書く機会なんかラブレターくらいしかなくて、ラブレターはそれこそ何時間も推敲を重ねて書くもんだからねえ。
メールの時代になって、ようやく‘喋るように文章を書く’ことに慣れてきた次第(それでもたぶん遅筆な方)。
でも小説はエッセイとは違うわけで、やはり修辞テクニックは駆使する必要があるわけだから、何百ページも書き上げることを考えるととんでもないエネルギー量とスピードですよね。
僕の知り合いの作家の方のエッセイを読むと、なんか凄いスピードで書き上げるらしいんですよ。変な例えだけど、マラソンの走るスピードを生で見たときみたいな驚き。
この程度の文章で30分もかけてしまうようでは、オレもまだまだですなあ。