昨日ちょっと河原町に用事があってMOVIXの前を通ったら、映画1000円の日だったのね。
どれどれとラインナップを見ると、ちょうど「グラン・トリノ」が見れる。
なので、久しぶりに映画館で映画を見た。
奇しくも同じクリント・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」以来。
評判は聞いていたし、クリントの映画にハズれはないんだけど、そりゃあもう、予想以上、期待以上に素晴らしかった。
アメリカは‘父性’の国なので、映画でも小説でも常に‘男は男としてどう生きるべきか’、そこから敷衍して‘人はどう生きて、どう死ぬべきか’がテーマに流れている。
特にクリントの映画はそう。
「グラン・トリノ」のストーリーや、何がどう素晴らしいかは各自ネットで検索してみて下さい。時間と金が許すなら、実際に見るべき。
特に男なら、腐った邦画や安直なSFXムーヴィーなんか見てる場合じゃないぞ。
ちょこっと個人的な感想を。
この映画には、クリント以外に有名な俳優はひとりも出て来ない。
「許されざる者」や「ミスティック・リバー」、あるいはついこの前に公開された「チェンジリング」の豪華キャストと比べた時、クリントはほんとにこの映画を、自分のパーソナルな小品として作ったんだと思う。
黒澤明の「生きる」と比較するレヴューが多いけど、僕は、ポール・ニューマンの晩年の(やはり小品の)名作「ノーバディーズ・フール」を思い出した。
虚飾や見栄を排し、かと言ってひとりよがりな理屈を振り回さず、自分の正直な内面と静謐に向き合いながら、何かを後世に残そうとする意思。
それを、温かなユーモアに彩られたエンターテイメントに仕上げるというのは、そう簡単なことじゃない。
紛れもなく、ポール・ニューマンもクリント・イーストウッドも、実際にそんな風な人間として生きてきたってことなんだな。
途中何度も、それこそコントのようなシーンがあって、場内はクスクスと笑いがおき、ラストに向けて緊張や怒りの感情が芽生え、最後はあちこちで鼻をすする音が聞こえる。エンドロールの最後まで誰も立ち上がらず、誰もがあれこれ想いを巡らせながら静かに映画館を出る、そういう映画です。
ああ、「チェンジリング」も見ておきたかった。