さて、小山卓治ですよ。年末に入手した2枚のアルバム「NG」「ひまわり」を、もう何度も繰り返し聞いてるわけですが。
デビューが1983年のシングル「フィルム・ガール」。当時、甲斐よしひろの「サウンド・ストリート」で流れて、たぶん次の日に買いに行ったと思う。
A面もB面も何回も聴いて、その後発売されたデビューアルバム「NG」も迷わず買って、やっぱり何度も聴いて、そのまましばらくシングルもアルバムも、出るとすぐ買って。
その頃以来だから、たぶん20年近くぶりに聴いたんだけど、歌詞も覚えていて一緒に歌えるから、相当繰り返し聴いてたんだな。
とにかく歌詞が素晴らしくてね。でも、どう素晴らしいのかを説明するのが難しい。
基本はストーリーテラーで映像的なんだけど、そう、とてもテクニカルなんだけど、青臭い。フィクショナルだけど、ウソがない。客観的だけどパッショネイト。つまり、ちゃんとロックしているということ。
たぶんね、出てくるのが少し遅かったんだな。もう数年早く世に出ていれば、もっとブレイクしていたかもしれない。
ビートロックからバンドブーム、小室哲哉の時代へとどんどんロックが腐って行く中では、あまりにも端正で知的で真っ正直すぎたのかも。
僕自身も、歌詞からだんだんメロディーとサウンドに興味が移り、邦楽自体をあまり聴かなくなって離れてしまい、とっくに時代に埋没してしまったのかと思ってたら、インターネットブラボーですね。ふらっと検索してあらびっくり。ちゃんとライブ活動を続けていて新作も(インディーズだけど)リリースし、一度は廃盤になった初期の作品もリマスターで再発されてるなんて。
しかも、当時周りではまったく出会わなかった彼のファンが、ちゃんと日本中にいて(当たり前)、ちゃんと彼の作品の素晴らしさをブログとかで語っているんですね。なんと素晴らしい時代だ。会ったことのないそういう方々と肩を叩き合いたい。
ただ、小山卓治を聴く人はたいてい、尾崎豊や浜田省吾や長渕剛といった、いわゆる‘スプリングスティーン・チルドレン’も一緒に聴いてるんだけど、僕はそこは通ってないのね。スプリングスティーンの良さがわかって来たのも最近だから。
強いていえばやっぱり甲斐バンドが一番近くて、その他当時聴いてたのは、The ModsとARB、それに出て来たばかりのThe Street Slidersだから、サウンド的には別方向。
いや、もしかしたら中島みゆきの文法に一番近いのかな。使う言葉の鋭さとか躊躇のなさとか。あとは描く風景とか人物とかか。手法ではなく。歌詞だけでいえば石橋凌もかなり近いか。
アルバムでいえば、1st「NG」の勢いも好きだけど、やっぱり2ndの「ひまわり」。あらためて聴いても、詰め込まれているエネルギーの密度が凄い。アコギの音が素晴らしい。ド頭のガットギターもそうだけど、5曲目「家族」の出だしの音の広がりは、ありゃなんなんだ。どうやったらあんな音が録れるんだ。
歌詞もいい。何気ない風景の描き方がいい。映画でいえば、台詞で説明せずに映像で伝えるという、アレですよ。アタマとセンスのいい人にしかできないテクニック。
それに描かれている舞台が、僕の生まれ育った工場街だからね、ありありと目にも浮かびますよ。めっちゃリアル。
「ひまわり」なんて、情景描写しかないからね。でも何かの物語が伝わって来て泣けてくる。
この方が歌詞をアップしています。歌詞を書いてらっしゃる方は、研究のためにでも目を通してみては。でも、ぜひ曲と一緒に聴いてほしい。
でも、小山卓治の歌詞の本領は、やっぱり「フィルム・ガール」とか「家族」とか、あと、3rdに収録の「Passing Bell」。
でも、こういうストイックな詞の書き方は、女性にはウケないんだよなあ。かと言って、小山卓治は口が裂けても「君が好き」なんてフヌけたタイトルの歌詞は書かないし、そんな曲でミリオン出すくらいなら売れてくれるな、と思うのだから、ファンというのはワガママなものです。