まずはお題。
“すごくイイ奴だけど、才能はない”人物と、“なんかヤな奴だけど、才能のある”人物
どっちと付き合いますか?
どうだろうねえ、難しい質問ですな。才能なんて簡単には推し量れないからね。
ただ、僕の場合は無意味な遊びをするのは好きではないので、どうせ同じ時間を過ごすなら、刺激的な人といる方が楽しい。才能や教養や知識やセンスのある人は、それがどんな些細なことであれ、話を聞くだけでも楽しいですよ。性格に少々難点があろうとも、大して気にはならない。
で、そこで疑問が頭にもたげて来るわけですね。
才能があるけどイヤな奴って、いるんだろうか。
だいたいヤな奴って、自分は大したこともできないくせに、他人のことをとやかく言ったりケチをつけたり怒ったり威張ったりする奴でしょ。
じゃあ、明らかに自分や周りの人間より優れた能力があって、それでもってなんかヤな奴って、いるんだろうか。
いたねえ、いたいた。高校時代にも予備校時代にもバンドを始めた頃にも、ハナにつく奴って、いたよ、確かに。
でもね。今あらためてそいつのことを思い出した時に、無邪気な顔ばかり思い浮かぶのね。ああきっとあの時、あいつは自分なりに一生懸命自分のできることをしようとしてただけなんだって。ただ自分を認めてもらいたかっただけなんだって。そういえば、あいつは誰の悪口もカゲ口も言ってはなかったなって。
みんながなんでそいつにムカついてたかって言えば、その無邪気さが気に喰わなかったわけで、それって結局、“ねたみ”だったんだって。
目標を見失ったりして自分に自信がない時って、他人のことばかり気になるからね。なんであいつばっかり、とか、なんであの娘がいいの?、とか。
でも目標が定まったときは、みんな今度は自分に必死で、他人のことなんか気にしてるヒマはない。“どうすれば自分はもっと向上できるだろうか”って、頭にはそればっかり。そういう人は、無神経に見えたりエキセントリックだったりして、ねたみもたくさん受けるかもしれないけど、キラキラ輝くのもそういう時。僕もいつのまにか人を育てるようなトシになっちゃったから、そういう人にはできるだけ力になりたいと思う。その子の人生に何かの影響を残せるのなら、知ってる限りのことを教えてあげても別に惜しくはない。
逆に、別に攻撃もされてないのに他人をやたらとヤな奴だと思うようになったら、それは黄色信号。あなたはどんどん孤立してしまう。誰かに対して直接本人に言えないことばかり頭に渦巻きだしたら、かなりの重症。あなた自身が、とてもヤな奴になってるかもしれない。
まあ、まずは二十歳の頃の自分に言ってやりたいですが。